メンヘラ部活動 | |
「プロフェッショナルの条件」に引き続き。
イノベーターの条件―社会の絆をいかに創造するか (はじめて読むドラッカー (社会編))
を読んでる。自分が言葉にできなかった何らかの不条理を言い当てていると思われた箇所があってハッとしたので引用しておく。
経済人に代わるべき新しい概念が何一つ用意されていないことが、現代の特徴である。自由と平等を実現すべき人間活動の新しい領域は提示されていない。今日、社会の秩序は、いかなる概念によっても説明し正当化することができなくなっている。新しい社会的な価値、新しい秩序のための新しい理由、そこにおける人間の位置づけと役割について説明を与える概念は、発展もしていないし獲得されてもいない。
経済人の概念の崩壊によって、一人ひとりの人間は秩序を奪われ、世界は合理を奪われた。もはや誰も、自らが住む世界との間に合理的な関係を持つ存在として、自らを理解することも、説明することもできない。社会における一人ひとりの人間の役割は、合理とは全く関係のない無意味なものとなった。
一人ひとりの人間は、その意味を受け入れることも、自らの存在に結びつけることもできない巨大な機構の中で孤立している。社会は、共通の目的によって結びついたコミュニティではなくなり、目的のない孤立した分子からなる混沌とした群衆となった。
現代難しいよ現代。
「好きを貫け」というのは、自らの信じるところを信じるという風に解釈すれば、言ってみればそんな現代を生きる一つの処方箋なのだな。でもね、たいていの人は自分の信じることを信じられるほど自信がなくて、自分の信じることを信じることを盲目的だというふうに思って怖れているんじゃないかな。
メンヘラ部活動 | |
実は、第2回お食事会でid:tencubeより2冊の本を借りた。役得?
読んで思ったことなど。
社会的逸脱行動をとる、ということをとってみても、遺伝的素因、その人のおかれる環境、いろんな偶然、その人の思考パターンなど、その人の力でどうにも御しがたい物事の複雑な絡み合いの結果であって、どこに自由意志の入る隙間があろうか、という考えに捕われて抜け出せないでいる。ひどく運命論的な思考になってきている。多くの場合それでも責任は当人に帰する。自由がないのになんで?
あとがきを読むとわかるようにこの本自体、躁状態→逸脱というパターンを自分もたどるのでは、という不安に貫かれて書かれていたりする。
「人間嫌い」の方は、なかなかどうして、読むとむしろ、どちらかといえば、希望が持てるように書かれてる。私はここまで極端じゃないけど。というか本書で言う「人間嫌い」に私は該当しないかもしれない。それでもなんか元気が出るというか。
行ってきた!テンションが上がりきらず、メンヘラ部作ってみたことを誰に対してか知らないけど謝るなどするなど、まったくうだつの上がらないことばっかりしてた私などはやく消えてしまえばいいね!消えてしまいたい。
それにひきかえ、id:sayakameの名幹事ぶりはヤバかったです。すばらしかったです。なんて仕切り上手なの。ホント、幹事さんおつかれさまです&ありがとうございました。それだけ言えれば十分です。